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4月, 2012の投稿を表示しています

プラシーボ(偽薬)

父の知り合いに少々、いやかなり、うさんくさい気功師のおじさんがいる。ずっとうさんくさいと思っていたのだが、教育という観点からみると、そのうさんくささも必要なのかなという気がしてきた。 気功というのは、まったくもって気のもんで、元気になるのは、本人の力、偽薬(Placebo)でも本人がその気になれば、自然治癒力が高まって本当に病気が直るという。気功も、まさにそう。だから胡散臭ければ、臭いほどよいのだ。(笑)信じるものは救われるというのも、本当だ。 教育も同じ。結局学ぶのは本人。教師や親は本人をその気にさせる、ちょっとしたきっかけをつくってあげればいい。 Placeboは ラテン語 で、「私は喜ばせる」の意なんだって。 なんか、かわいい。そんな単語があるというのもラテンっぽい。 私ももっと子どもにとって「プラシーバー」であるべき。だな。

ワークショップは月に一度の美容院

ワークショップって何?何か役に立つの?とかってよく言われるけど、私にとってのワークショップは、月に1度の美容院。 人は誰だって、きれいになりたいって思ってるけど、普段の生活の中でついつい自分へのケアがおざなりになる。(私は特にそう)月に1度の美容院は、そんな自分をリセットする時間。美容師さんの手を入れてもらって、自分の中にある魅力を再度見直す。そして、また今日からがんばろーという気になれる。 ワークショップも、誰もが自分を高めたいと願っていて、日々の生活の中で「あたりまえ」になってしまっている考えをリセットするきっかけをくれる時間だと言える。 そろそろ美容院にいかなくては。

はんぶんこ

熱帯夜が続く。夜中に暑くて何度も起こされるとバテててくるので、最近はすっかりクーラーを朝までかけっぱなしにして眠ることになった。そのかわり、昼は意地でもエアコンをかけない。子どもたちも自分も、ぬれタオルを首に巻き汗びっしょり。そんなかっこで食べるスイカは、「これぞ正しい夏の過ごし方」という感じがする。 顔を真っ赤にしながら、子どもたちが、冷凍庫にあるチューペットを取り出して、二人で仲良く半分こして食べていた。チューペットは真ん中でポキンと折ると、半分になり二人で分け合って食べることができる。そんなのだいぶ前から知っていたんだけど、ふと、その形状、その開け方がすごくデザインされていることに、今更ながらに感心した。二人で半分こすることを前提に容器がつくられているというのがいい! 食べ物のパッケージや器をそうやって考えてみるとおもしろーい。

デザインの躾

子どもの夏休みの宿題をみているといつも私の頭に浮かぶ言葉は「デザインの躾」だ。デザイン教育は教育するものではなく、躾けるものだと常々思う。 そんな偉そうなことを言う私自身も、学生の頃は、レポートなんぞとにかく出せばいいぐらいにしか考えてこなかった。けれど、それがどれだけの時間を無駄にし、どれだけ大切な機会を失ってきたかと今は思う。 レポートは、出してこの場をやり過ごすことが目的になっていた。信じられないことだけど、それを読む相手がいるのだということは全くと言っていいほど頭になかった。子どもたちの宿題を見ていても、それがみてとれる。小学校の低学年だと先生が「頑張ったね」とか書いてくれるにも関わらずだ。大学にもなると、そんな先生の返事の言葉もないのだから、なかなか相手のことは考えにくいかもしれないが。 私はいつも、そのいい加減に仕上げた宿題を見て、説教をはじめる。 宿題のできはどうであれ、それを先生が見るのだということ、そして、そのアウトプットされたもので、あなた自身を評価するのだということをくどくどと言う。 くどくど言わなくても、そう子どもが感じるようなデザインが必要かも。 とにかく、相手に分かりやすく、魅力的に伝えることがデザイン。 これは人として最低限の礼儀。 デザインは、単にきれいなものをつくるという装飾的なイメージで考えられがちだけれど、それは如何に魅力的にみせるかという部分だけであって、いかにきちんと伝えるかの部分が抜け落ちている。 デザインは、デザイナーだけのものではなく、どんな職業の人にも必要であり強力な素養。だからこそ、大人になってもデザインする努力(人に分かりやすく伝えよう)を最初からしない人は、不躾、行儀がわるい!と言いたい。 だから、行儀の悪いデザインをしていたら、その度、子どもには説教するのだ。

プレイスマット

プレイスマット 食事の時にテーブルに敷かれる「ランチョンマット」。実はそれ、和製英語だって知ってましたか? ランチョンというのは、少し格式高い正餐に近い昼食をさす言葉だそうです。 英語では「プレイスマット」と呼ばれ、一人一人の食事のスペースをつくる為に敷かれるものだということ。 「プレイスマット」と聞くと、これまで、テーブルを汚さないために敷かれたものぐらいにしか思っていなかったマットが、なんだか「どうぞこちらへ」とボーイさんが席をひいて着席を誘ってくれてるように感じるから不思議です。 「ここがあなたの居場所です。」 って言ってもらえるのって、なんだかほっとするのはなぜなんでしょう。 私、こう見えて、もともと人見知りな性格で、パーティや大勢の人が集まるイベントに出かけた時、自分の居場所がなくていたたまれない気持ちになることがあります。ほんとです。笑 だからこそ、自分がそういう場を企画する時にも、ゲストの居場所をつくることをとても気にしている自分がいます。 「居場所づくり」は、どんなに盛大な演出や、御馳走にもまさります。もてなしの基本のキですね。 「ここがあなたの居場所です。」 これが、言葉ではなく示してくれるのがプレイスマット。 しかも 自分の場所がパーティションのようにクローズされているのではなく、オープンでありながら、安全地帯からコミュニケーションをとることができる。 なんだかさりげなくて、うっとりします。 ツールの力は偉大だ!

デザインについて考える

私にとってデザインとは、相手を思いって伝えたり贈ったりすること。それは自分と周りを魔法のように豊かにかえるものだと思うのです。