「つづけること」のデザイン
週末は中秋の名月。 季節はかならず巡ってきますね。 こうして否が応でも巡ってくる季節を前に、ふと思うのは、 「はじめる」ことより「つづける」「つづく」ことすごさ。 気持ちの赴くまま、あれこれやってきて、はたと気づけば、つづけけているような、つづけていないような…。 新しいことをはじめるのはパワーがいるものの、新しいものには、まだ見えない可能性があってワクワクしてしまう。だから普段はのんびりな私もこういう時には猛烈にパワーが出たりするんです。 ただしかし、こうして生まれたものを「つづける」ということに、いまひとつモチベーションが上がらないのは私だけでしょうか? 教育の世界では「継続は力なり」と言うのをよく耳にしますが、デザインの世界では、案外「つづける」ということよりも、「新規性」「即効性」に目がいきがちです。「何か今までに見たことのないようなもの」だったり、「即、問題解決してくれるもの」だったり。 「つづける」ことは、「成長」や「成熟」を待つことであって、その人やモノや事柄が「育つこと」に喜びを見出すこと。 「育てる」というキーワードをデザインにあてはめてみると、案外その視点が抜け落ちていることに気づきます。デザインは産みの苦しみの末、産むのだけれど、産んだ後はほったらかし。というケースがほとんどだったりします。 産み出したものを、どう継続して育てていくか。また自分が育てるだけでなく、社会の中で育ててもらうという大らかさが「つづける」秘訣かもしれません。 と、口で言うのは容易いのですが、、、 「つづけること」のデザイン。 これが、本当に難しい。 先日、記念日デザイナーの松村カヨさんと10月に甲南女子の大学院卒業生の会で二人で話をするにあたって、「記念日」と「ワークショップ」に抱くイメージを分解してみました。この分解の詳細はすっごく面白かったので、また追々書きたいと思いますが、ここで気づいたのは、 「記念日」は、多くのものが1年に一度、その日やその季節が「巡ってくる」「巡ってきてしまう」のに対して、「ワークショップ」は多くの場合が単発である。(これはあくまでも私たちの中のイメージなので、そうじゃない人もいるかもしれません) この分類が正しいかどうかは別として、アッとなったのは「巡ってくる…」という言葉。 自分からアクシ